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『1973年のピンボール』のこと

村上春樹の『1973年のピンボール』のことを思い出している。
あれは身を切るような冷たさが世界を包んだ冬の日のことで、僕は死んだ親父の手袋をはめて、さながら信仰者のような心持で図書室へと入った。
村上春樹――という男を授業で習い、僕はその男の書く本に興味を持った。
図書室は強烈な暖房に支配されていたが、当時の僕の心は冷め切っていた。氷の冷たさではなく、湿気もなく乾燥しきった死骸のようなものだった。
彼の本を読み始めるにあたり、僕が考えたことは簡単なことだった。
短ければいい。僕は読書が苦手だった。今まで読んだのは数冊の児童小説とシドニィ・ウェルダンの『ゲームの達人』――印象に残るものはそんなものだった。
『1973年のピンボール』。それは3部作からなる小説の2部にあたる作品で、200ページにも満たない短編小説であった。鼠と僕と、二人の男が描かれた小説だ。
この一冊から僕は本を読むようになった。村上春樹を読み続け、島崎藤村の『破戒』に出会った。
それでも『1973年のピンボール』を含む3部作を読むことはなかった。僕の中でそれは完成されていて、どこにも不備がなかったと思ったし、何よりそれ以上増やす必要も感じなかった。小説に出てくる3フリッパーのスペース・シップのように。
僕にとっての魔性の小説とはこれのことだ。村上春樹作品は『ねじまき鳥クロニクル』を読み終えたとき、もう読むまいと決めて手に取ることはなかった。
『1973年のピンボール』をもういちど手に取るときがくれば、それは僕が相当落ち込んでいるときに違いなかった。それが今だ。
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テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

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